2021年3月15日月曜日

 

ペルソナ3の映画をみた

 アイギス以外のキャラの名前を完全に忘れてたけど、見はじめたら次々どんな会話があったかまで思い出した。すごく懐かしかった。
 順平の「空気詠み人知らず」とか、美鶴の「ブリリアント!」とか懐かしすぎて二億年ぶりに聞いたかと思った。
 ゲームやってたときはアイギスとかエリザベスとか(あと同時期にやった4の千枝)の印象ばかり残ってたんだけど、改めてこのペルソナ3という作品に接すると全然各キャラから感じるものが違ってて、そこには驚いた。
 特に、昔はあんまりわからなかったゆかりっちの等身大な魅力がすごくよかった。やる気なさそうな主人公に尖った言葉で発破かけるとことか、順平と絡んで騒いでるとことか、鴨川で落ち込んでる美鶴にビンタするとことか、改めて「いいな」って思ったシーンはだいたいゆかりっち関連だった。

 戦闘シーンは基本ペルソナが光って動いて何かが爆発してるだけだったけど、花火みたいなもので楽しかった。これといって戦略とか駆け引きがあるわけではなかったんだけど、きれいな絵がぐいぐい動いていただけで見てるほうとしては大満足。
 ただ敵に敵としての魅力がいまいちたりないとは思った。シャドウが何にも言わないのはまあしょうがないんだけど、何か物足りない。というか、そもそも『敵らしい敵』がペルソナ3にはいないのかもしれない。
 ストレガの皆さんは、『独自の美学をもった敵』というより、『主要メンバーになれないことを怨む味方』って雰囲気だった。彼らのことはキャラとしては結構好きなんだけど、順平とチドリの話なんて改めて号泣したわけなんだけど、主人公たちの敵としての悪役としての存在感みたいなのは薄かったと思う。いかにも敵っぽいこと喋るけど、基本的には味方と似た価値観と考えをしてて、「こいつらはこいつらの考えで完成してるな」っていう感じではなかった。
 あと理事長はストーリーに大転換をもたらす重要人物なのに、なんであんなことを企てたのかやっぱりよくわからなかった。

 しかしペルソナ3は相変わらず自分の心に深々と『刺さるもの』があった。
 ストーリーの内容より、全体的なトーンみたいなのが、よかった。薄味の人間味(にんげんみ)というか、うまく言えないけど「死にたい」とか「世界を滅ぼしたい」とかいう態度の人間を、揶揄せず描こうとしてるところに、変わらない魅力を感じた。
 あと「非人間的になりたい」というのも「死にたい」と似た態度だと思うんだけど、ペルソナ3には『非人間的』に憧れる人間にとっても実に魅力がある。主人公もアイギスも人間味がいい感じに薄い。私も昔は「あー非人間的になりてぇ」とよく思ったものなので、主人公たちの『人間からのズレかた』には憧れたし、今見てもよかった。
 たぶん「死にたい」が基本路線にある人間が、傷つかず他人と付き合う方法を一人で編み出そうとすると「非人間的になりたい」になるのだと思う。死にたさのあまり何かの『型通り』になって自分を殺したり、弱い自分を隠す『仮面』を被ったりする。
 自分というものを韜晦させるから『非人間的』というのは、面白さもある。しかし、これにはやはりよくない面もある。ペルソナ3の『非人間的』代表ともいえる機械のアイギスは、なんでも命令通りに動いてしまう。それでリモコンで操られたりもする。これは頼まれたから戦っていた最初の頃の主人公と同じだ。主人公とアイギスは似た問題を抱えている。自分自身の心を持たず『非人間的』でいると『受身』の服従に繋がるという問題だ。この問題に立ち向かうため、主人公もアイギスもだんだん仲間から人間味を得て、問題の根本にある「死にたい」と決着をつけようとする。
 抱え込んだ「死にたい」を放っておくと、人は心を捨てて「非人間的になりたい」という方向にいく。そしてそうなった人は、『受身』の態度に陥りやすい。だから「世界を滅ぼしたい」という人に利用されることになって、まずいことになる。ペルソナ3にはそういう構図が繰り返し出てきた。ペルソナ3で一番『敵らしい敵』は、この構図そのものなのかもしれない。
 
 思えばペルソナ3のキャラクターは、「死にたい」とは直接口にせずとも、みんな誰かの死に縛られている。親を亡くした人が何人もいるし、だいたいみんな大切な人を失ってる。みんな何かしらの傷を負って、無理矢理に自分を繕っている。でもそこを暗くしすぎず、偽物の明るさで誤魔化そうともせずに、静かに包み込む作品全体のトーンが、何より素晴らしいものだと感じた。
 繰り返すことになるけど、特にゆかりっちの「死にたい」への態度は、すごく説得力があった。具体的にいうと、序盤の生きたいのか死にたいのかわからない主人公への態度と、終盤のこのままだと間違いなくみんな死ぬって状況への態度。ゲームだとよくわからなかった部分も映画で掘り下げられていて、「こんなにやさぐれて...」と引き込まれるものがあった。

 深く傷ついた人間はむしろ自分から進んで自分を繰り返し暴力にさらそうとする。過去のトラウマをいつまでも忘れられず、自分でわざわざ辛い記憶を掘り起こして、繰り返し苦しむことを何故かしたりする。そういうことからフロイトは、人間には快・不快の欲求の他に『反復の欲求』があると気づいた。そしてその『反復の欲求』から『タナトス(死への欲動)』という仮説を導き出した。
 ペルソナ3は最初から最後まで『タナトス』の話だったように思う。決定的に傷ついた人間は傷を乗り越えようとはせず自暴自棄になり、自分から進んで繰り返し苦しみに『受身』で服従しようとする。心を捨てて『非人間的』になる。大切な人を失った人は、悲しみを乗り越えることより『失った悲しみ』を心の中で繰り返すことを選びたくなってしまう。私の実感としては人間にはそういう『反復の欲求』が、間違いなくある。私の中にも「死にたい」とか「世界を滅ぼしたい」とかいう態度は、今も結構自然にわいてくる。ペルソナ3の映画には、その気分の出どころを改めて見せてもらった気がした。

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